神戸地方裁判所 平成7年(ワ)641号 判決 1998年8月28日
原告
松本悦子
ほか一名
被告
中村文昭
主文
一 被告は、原告らに対し、金二六七万四五〇八円及びこれに対する平成六年四月二四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一を原告らの、その余を被告の、各負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告らの求めた裁判
被告は、原告らに対し、金四三二九万七九三三円及びこれに対する平成六年四月二四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 原告亡佐藤晃(以下「原告晃」という。)は、後記の交通事故にあって負傷したとして、自賠法三条に基づき、損害の賠償を求めた。付帯請求は事故当日から支払済までの民法所定の遅延損害金である。
なお、原告晃は、本訴提起後の平成七年一〇月七日死亡し、その子である原告らが、原告晃を相続し、訴訟を承継した。
二 前提となる事実(争いがない。)
1 次の交通事故(「本件事故」という。)が発生した。
(一) 日時 平成六年四月二四日午前八時〇分ころ
(二) 場所 神戸市長田区駒ケ林二丁目一一番二号
市道高松線交差点付近
(三) 加害車両 普通乗用車(広島五二ふ五六二一)
(四) 態様 被告が加害車両を運転して、右交差点を西から東に向けて走行中、歩行横断中の原告に自車前部を衝突させた。
(五) 被害者 原告晃(大正八年四月二二日生。当時七五歳)
2 加害車両は被告が所有し、かつ自ら運転していた。
3 事故後、原告晃は次のとおり入通院した後、死亡した。
(1) 平成六年四月二四日及び二五日、神戸協同病院に通院
(2) 四月二五日から五月一二日まで、吉田病院に入院
(3) 五月一二日から一四日まで、湊川病院に入院
(4) 五月一四日由井病院に通院
(5) 五月一四日から一六日まで神戸大学医学部付属病院に入院
(6) 五月一六日から二四日まで由井病院に入院
(7) 五月二四日から六月三日まで湊川病院に入院
(8) 六月三日から九月三〇日まで由井病院に入院
(9) 九月三〇日以降、相野病院に入院
(10) 平成七年一〇月七日、同病院において死亡
4 この間、原告晃は、事故直後から、異常な言動、興奮状態があり、医師や家族との意思疎通もできず、正常な状態に復しないまま、老人性痴呆症となり、やがて、急性腎不全により死亡した。
三 争点
1 被告の免責事由の有無、過失相殺の当否・程度
2 原告晃の老人性痴呆症と、事故との因果関係
3 原告らの損害額
四 争点に関する当事者の主張
1 免責事由の有無、過失相殺の当否・程度
(一) 被告
被告は、対面信号が青であったことから、これに従って交差点に進入したものである。制限速度違反もなく、安全運転義務違反もない。中央分離帯の植え込みのために右方からの横断者に対する見通しは悪かったのであって、被告には過失はない。
原告晃は赤信号であるのに、横断歩道外を歩行していたものである。前後の状況からして、既にアルツハイマー症状が発現しており、当日も早朝から徘徊を始めて、赤信号を無視して本件交差点を横断していたものとしか考えられない。
被告車の後方からも車両は同方向に進行していたが、被告が信号無視をしたとの目撃証言もない。
仮に過失があるとしても僅かであり、相当な過失相殺がなされるべきである。
(二) 原告ら
原告晃は事故状況を説明できないまま死亡したが、被告の説明も速度の点などで不自然なものがあり、その過失がごく僅かであったとの点は争う。
2 原告晃の老人性痴呆症と事故との因果関係
(一) 原告ら
事故直後から原告晃は意識傷害を来した。神戸協同病院から脳外科のある吉田病院に転送されたが、遷延性意識障害とされて、主治医の指示によりさらに湊川病院に転院し、同病院で、老人性痴呆と診断された。この痴呆は脳血管性のもので、本件事故による頭部打撲による意識障害を契機として発現したものであるから、本件事故と相当因果関係がある。
(二) 被告
原告晃は、本件事故以前から、老人性痴呆の状態にあったもので、その症状と本件事故とは因果関係はない。
原告晃は、被告車の左フェンダ前方付近に引っ掛かった感じで接触し、転倒したに過ぎず、撥ね飛ばされたというものではない。被告車には何の損傷も生じていないし、原告晃にも頭部挫傷は生じなかった。
原告晃は、当日は、長女宅に引き取られることになってそれまで独居していた家を出た直後の事故であるというのに、当時通院していた医院の薬袋しか所持していなかったという不自然な点や、事故直後の言動からも、痴呆が出現していることが窺えた。
事故後の入院は、老人性痴呆症が悪化したためであるが、その悪化が本件事故によるものとは考えられない。
3 原告らの損害額
(一) 原告ら
原告晃及び原告らは別紙損害計算表請求額欄記載のとおりの損害を被った。
(二) 被告
原告ら主張の損害は争う。原告晃は事故当時、労働の意思及び能力はなかったから、逸失利益は認められない。
第三争点に対する判断
一 争点1(被告の免責事由の有無、過失相殺の当否・程度)について
1 乙一(実況見分調書)、被告本人尋問の結果によると、以下の事実が認められる。
被告が東進してきた道路は、両側に幅四・四メートルの歩道を有する片側二車線(幅員八・〇メートル)の道路で、幅二メートルの中央分離帯があり、分離帯の植え込みは〇・九メートルの高さがある。最高速度は時速四〇キロメートルに制限されている。本件交差点から南方へは、歩車道区分のない幅八メートルほどの道路、北方へは片側に狭い歩道がある全体で六メートルほどの幅の道路で、被告車の進行道路よりは明らかに狭い。交差点の東西南北の出口には横断歩道が設けられている。この交差点は信号機によって、交通整理が行われており、被告の進行方向には、二つの車線の上にそれぞれ、左右からオーバーハング式の信号機が設置されている。この交差点の西方はほぼ直線、平坦な道路で、かなり手前から信号を視認できる。西北角は寺院で、他には小商店や民家が立ち並ぶ地域である。
2 被告はその本人尋問と乙一(実況見分調書)における説明において、事故の模様について、次のとおり供述する。
本件交差点の手前約三、四〇〇メートル辺りの交差点で信号のため先頭に停止し、青信号になって、スタートした。そのとき、前方の本件交差点の信号も青であった。先頭になって第二通行帯を時速四〇キロメートルほどの通常の速度で進行してきた。右側は、植え込みのために見通しは悪い。本件交差点にさしかかったとき、原告晃が交差点手前の横断歩道上を右側からふらふらと北に向かって出てきたのを前方約九・五メートルに発見し、左角で引っかけるように衝突した。衝突地点から二八メートル先で被告車を停止し、衝突地点の一一・七メートル左前方に倒れた原告晃のところに駆け寄った。原告晃は額から血を流していたが、意識を取り戻すと、立ち上がり「帰る。」と言って歩き始めたため、あわてて制止し、到着した救急車に乗せた。被告車はサイドミラーと左ウインカーのレンズが壊れていた。
3 右1に認定した事実と被告の右供述の外には、事故の状況に関する証拠はない。
そして、右証拠からすると、被告の進行方向の信号は青であって、原告晃は、信号を無視して、道路を横断していたものと認められる。
4 しかし、信号機によって交通整理が行われている交差点であるとはいえ、付近の状況からして横断歩行者の少なくない地域であり、信号の意味を解しない、あるいは信号に従わない老人等の歩行者の、不意の横断が予想されるところであるから、被告においても、左右の見通しの悪い道路を車列の先頭に立って走行する以上、交差点付近においては、横断者の有無の確認に細心の注意を払って進行する義務があるというべく、その義務を怠った過失があるというべきである。なお、被告車の事故後の停止位置が、衝突地点よりもかなり先であることからすると、被告が制限速度の四〇キロメートルを遵守していなかったとの疑いもある(乙二の2の協立病院のカルテ中には、「加害者から、『車六〇キロメートルで走っていた。左先にて接触』」とのメモ記載がある。記載の根拠は不明であるが、カルテの性格上、被告の発言であったと推定される。)。
5 以上によると、被告に、自賠法三条にいう免責事由があるとは言えない。
そして、右に認定した事故発生状況のほか、原告晃の年齢や後記認定の原告晃の能力等の諸般の事情を総合すると、本件事故の発生につき、三割の限度で過失相殺するのが相当である。
二 争点2(原告晃の老人性痴呆症と事故との因果関係)について
1 原告晃の入通院状況
甲一ないし四(各病院の診断書)、乙二ないし七(各枝番を含む。各病院等の診療録等)、証人井上靖裕(湊川病院での担当医)の証言、原告松本悦子(以下単に「悦子」ということがある。)本人尋問の結果によると、以下の事実が認められる。
(一) 原告晃は、被告車に衝突して倒れたが、意識を取り戻すと、「帰る。」と言って歩きだそうとして、被告や集まっていた人達によって制止された。やがて到着した救急車で神戸協同病院に運ばれたが、同車の座席に坐ったまま「家に帰る。」などと言って、車から降りようとしないため、強いて診察室に運ばれた。前額部に切創があり出血しており、創の縫合を受けた。意識は清明であったが、興奮が激しく、「家に帰る。」と体を激しく動かすため、縫合中も、警察官や救急隊員らが、原告晃の体を抑えるという有り様であった。
同日は、それ以上の診断や手当てはできず、長女悦子が自宅に連れ帰った。帰宅すると興奮も納まって眠った。
翌日の四月二五日、原告晃は再び悦子に連れられて同病院に赴いた。「痛い。痛い。」と繰り返しており、腰痛と右下肢痛を訴える様子で、レントゲン検査を受けた結果では、右大腿部や腰椎の骨折はなかったが、左第五指基節骨骨折が発見された。病院に来るとやはり興奮が強く、医師との意思疎通はできず、CT検査は実施できなかった。同病院では骨折に対してシーネ固定を行ったのみで、興奮状態にあることを考慮して、吉田病院を紹介した。
(二) そこで同日、原告晃は、悦子に連れられて、吉田病院脳外科に入院した。同病院では、同日と同月三〇日の二度、原告晃に麻酔を注射して、頭部CT検査を行った。多発性脳梗塞と脳萎縮、脳室拡大が認められたが、脳内出血は認められず、事故による変化は生じていないものと認められた。
同病院でも、原告晃は、ベッドから起き上がって帰ろうとしたり、点滴の管を抜いてしまうなどの不穏状態が続き、同病院では、家族に付添いを指示するとともに、原告晃の手足を拘束した。不穏状態は一過性の混乱状態と見られて経過観察されていたが、二週間経っても変化がなく、四肢の拘束を続けたままであった。全般的な知能の低下が観察され、娘の顔も判らなかった。
そこで、同病院から紹介されて、五月一二日、精神科神経科のある湊川病院にベッドに拘束されたまま転院した。
(三) 湊川病院では、「帰りたい。」と繰り返し、他出しようとするため上肢のみ拘束が必要であったが、興奮は治まり比較的平穏な状態であり、医師の質問に、自分の名前を答えることはできるなど、ある程度のコミュニケーションがあった。ただ、簡単な質問にも答えられず、数字の計算はできなかった。最近起きたことを、いろんな問い方で質問しても答えられなかった。すなわち、意識は清明であったが、痴呆状態と見られた。そこで、同病院の井上医師は、吉田病院における頭部CT所見のほか、事故前から物忘れがひどくなっていたとか、話がくどくなっていたとの、娘らからの情報を総合して、老人性痴呆症と診断した。CT所見で多発性の脳梗塞がある点では血管性の痴呆と見えるが、脳萎縮や脳室拡大がある点ではアルツハイマー型の痴呆と見え、その混合型と見られた。
原告晃は介助によって食事を摂っても全て嘔吐するほどで、発熱もあり、麻痺性イレウス(腸閉塞)等の消化管障害が疑われたため、五月一四日から二六日まで、神戸大学付属病院と由井病院に入院して、各種消化管検査を受けたが、通過障害を来すような器質的疾患は認められず、その後、食事も経口摂取が可能となり、湊川病院に戻った。しかし、六月三日に再び胆汁のような嘔吐があったため、由井病院に転院した。
(四) 由井病院では、さまざまの内臓系の検査を行い、急性肝炎、急性気管支炎、肝真菌症等の診断を下し、IVH管理(高カロリー輸液)下に栄養管理していた。真菌症に罹患したのは、痴呆により経口摂取ができず、全身の免疫が低下したためと判断された。八月一七日ころから徐々に食事を摂るようになり、流動食の経口摂取が可能となったので、九月三〇日、老人性痴呆の患者の専門病院である相野病院に転院となった。
(五) しかし、相野病院に転院したころには、原告晃は既に寝たきりの状態で、食事も全面介助を要し、失禁状態、起立歩行不能で、生活全てが介助を要する状態となっていた。意思表示も殆どなく、呼びかけに対しても目玉をキョロキョロと動かす程度であった。四肢拘縮、廃用症候群を呈し、独語はあったが、会話は殆ど成立せず、意思の疎通は不可能となっていた。
こうして、体は次第に衰え、翌平成七年五月ころからしばしば発熱したりして、抗生物質の筋肉注射を受けたりしたが、六月には辱創も出現し、八月からは抗生物質の点滴も始められたが、九月下旬には腎機能が衰え、一〇月一七日死亡した。
2 原告晃の本件事故前の生活状況等
甲五、七、原告悦子本人尋問の結果によると、次のとおり認められる。
原告晃は大正八年四月二二日生で、工員として長年勤務したあと、退職後勤めていた警備員の仕事も昭和六二年三月に辞めて、以来無職であり、年金で暮らしていた。昭和五四年に妻を亡くし、自宅に、長女の悦子が夫や子と共に同居するようになったが、昭和六二年から、アパートを借りて一人暮らしを始めた。ところが、親しかった同年配の友人が亡くなったことから、本件事故当日、長女らと同居するために自宅に転居する予定になっていた。アパートの近くで本件事故に遇っており、自宅へ帰るためにアパートを出た直後であったと思われる。
原告晃は亡妻の月命日には、自転車で三〇分ほどかけて自宅に戻ることもあり、事故前日まで几帳面にノートに金銭の出納を記録しており、本件事故の一〇日ほど前の四月一二日にパンク修理代を払ったことや、四月に孫の二人が進級したことなども記載し、毎日の体重測定結果も記帳していた。
そして原告悦子は、本件事故前には、原告晃には、痴呆を疑うような症状はなかった、と供述する。もっとも、直前の妻の月命日に帰宅したかは判然とせず、本件事故時も所持品は通院先で受け取った薬袋だけであった。
3 右に認定した事実・経過に、証人井上靖裕の証言、鑑定人武田雅俊の鑑定(同人の証言を含む)を総合すると、原告晃の病状について、次のとおり判断できる。
(一) アルツハイマー病(老人性痴呆)は、現在の理解では、老年期に発症する原因不明の変性性痴呆症であり、いつのまにか発症し、ゆっくりと進行性の経過を辿る。病期の判定によく用いられるFASTのステージ分類では、正常をステージ1、加齢による生理的な認知力低下をステージ2、正常と痴呆との境界をステージ3としたうえ、本症の病期をステージ4(軽度)、5(中等度)、6(やや高度)、7(高度)までの四段階に分けている。ステージ3は「軽度の認知機能低下。境界状態。買い物や家計の管理、よく知っている場所への旅行など日常行っている作業を行う上では支障はなく、日常生活の中では障害は明らかとならない。」とされ、ステージ4は「日常生活では介助を要しない。行き慣れている所へ行くのには支障はなく、介助を要しないが、買い物で必要な量だけを買うことができない。誰かがついていないと買い物の勘定を正しく払うことができない。」、ステージ5は「介助なしには日常生活でも自立できない。」とされる。
(二) 原告晃は、本件事故で転倒し、前額部に切創を生じたが、救急車で運ばれる際も、座っており、自発言語があり、明らかに重度の意識障害は生じなかった。CT上、頭部外傷後数日して生ずるとされる硬膜下出血も見られず、出血性病変はなく、脳底部、前頭葉、前側頭葉の脳挫傷は起きていない。すなわち、頭部外傷は軽度であり、それ自体が痴呆を促進するほどのものではなかった。
(三) また、脳萎縮は二週間位で急激に萎縮することはありえず、多発性脳梗塞(脳血管性痴呆)も内因性のもので、本件事故を契機としていきなり出現することもありえない。すなわち、ともに本件事故前から存在していたものであり、本件事故以前に、原告晃には痴呆症状が発症していたと解される。
事故前の生活は極めて単調なもので、困難な判断を要求される状況がなく、痴呆の発症に気づかれなかったと思われる。原告晃のノートの記載は平成四年から著しく内容が少なく、単調になっている。一か月に数回、病院に薬を貰いにいったという同じ記事を繰り返すほかは、日常の買い物による支出金額と、体重測定の結果の記載に限られ、他は、四月に孫らが進級した学年や、その月の子供の誕生日の程度で、記憶力の低下があってもカバーできる事柄に止まり、これといった生活上の記事が全くなくなっている。買い物も同じ店でレシートを貰って、帰宅して転記するだけなら、中等度の痴呆症でも可能である。むしろその記帳内容の単調さは痴呆状態を示すものである。治療先の医師に対して、娘らが、原告晃は近年物忘れが多くなっていた、とか、同じことをくどく言うようになっていた、などと述べていることからしても、記憶力や記銘力が落ちていたことが認められる。結局、ノートの記載が著しく単調になった、平成四年三月が痴呆の発症(ステージ4に至った)時期と見ることができる。
そして、脳萎縮や脳室拡大の進行程度からすると、吉田病院で診察を受けたころには、原告晃はアルツハイマー病(老人性痴呆)の病期分類では、軽度ではなく、中等度にあり、ステージ4から5への移行期にあったと言える。
(四) 原告晃の本件事故後の症状や、その原因は、次のとおり解される。
原告晃は、事故により短時間の脳震盪状態が起きた。その覚醒後に生じた興奮状態は、事故に遭遇したという精神的ショックによる反応性の精神障害の出現と見られる。この障害は、通常、一夜熟睡すれば、軽快しあるいは消失するものであるが、原告晃は混乱が続いた。ごく軽度の意識水準の低下と、精神活動の活発さを伴う「せんもう状態」であった。
高齢者や脳に障害を有する者は、些細な原因によって容易にせんもう状態を惹起する。心理的な要因としては精神的ストレス、環境要因としては拘束、軟禁がある。反応性精神障害は、心理的ストレスが除去されると数日から数週間で消失するが、原告晃の場合は、判断力、認知機能が低下していたため、入院という新たな環境への不適応を来して、せんもう状態の継続を生じたと考えられる。せんもう状態自体はアルツハイマー病を増悪、促進することはないが、せんもう状態であったために、入院と身体拘束を受けることになり、そうした寝たきりという無刺激状態が、痴呆症状を増悪する契機となったと解される。湊川病院への転院の時点では、せんもう状態は消失したが、あとには、病期ステージに対応して増悪した痴呆症状が表面に現れた。その状態はステージ6(高度の認知力障害)に至っていた。
4 すなわち、原告晃は既に本件事故当時、老人性痴呆が進んでいたものであり、その発症は、本件事故に原因するものではない。また、事故後生じたせんもう状態は、初期においては本件事故に遭遇したことによる心理的要因が関与していると見られるものの、これが長く続いたのは、痴呆症としての認知力障害、見当識障害があったためであり、そのせんもう状態に対する身体拘束や刺激の少ない入院という事態が、痴呆症の増悪を招いたものである。
従って、本件事故は、精神的ショックを与えたという点で、せんもう状態を発症する契機となってはいるものの、そのせんもう状態の継続は、原告晃がかねて発症していた老人性痴呆としての見当識障害、認知力障害に原因するものであり、それに対する拘束や入院が痴呆の悪化を促進したのであるから、本件事故と痴呆症の増悪との間には、条件的な因果関係はともかく、相当因果関係はもはやないものと言わざるを得ない。
三 争点3(原告らの損害額)について
1 以上によると、原告晃の事故後の症状及び入通院のうち、協立病院及び吉田病院における治療は、本件事故と相当因果関係があると言える。そして湊川病院以降の症状や入院は、本件事故とは相当因果関係がないものと言える。また、吉田病院までの症状のうち、せんもう状態は、それを惹起するにつき本件事故が原因したとは言えるものの、原告晃の痴呆症も寄与しているから、右に認定したところによると、本件事故の寄与割合は、七五パーセントと見るのが相当である。
2 そうすると、原告晃及びその子であり相続人である原告らの、本件事故と相当因果関係を有する損害として認定できるのは、次のとおりとなる。
(一) 治療費
協立病院の分は本訴では請求されていない。
吉田病院の分は、甲八の1ないし3によると、合計二七万三一六〇円と認められる。その七五パーセントの二〇万四八七〇円が損害と言える。
その後の湊川病院以降の入院にかかる治療費は、因果関係がない。
(二) 入院雑費
吉田病院への入院は四月二五日から五月一二日までの一八日間であった。一日一三〇〇円程度は要したと認めるのが相当であるから、合計二万三四〇〇円であり、その七五パーセント一万七五五〇円が損害と言える。
(三) 逸失利益
原告晃が、稼働による収入を得ていたとの立証はなく、右の通院、入院により、その収入を得ることができない損害を被ったとは認められない。
(四) 介護費
原告晃は、吉田病院入院中に、五月一日から一一日まで、朝日看護婦家政婦紹介所の紹介で介護人を雇い、紹介手数料、交通費等を含めて、合計一二万九七四二円を支払った(甲一三の1、2)。このうち、被告に請求できる損害は九万七三〇六円(端数切り捨て)である。
なお、原告悦子の供述によると、介護費については、市から援助として五五万円を貰ったとのことであるが、いつの時期における介護が対象となったか不明であるので、損益相殺はしない。
(五) 慰謝料
原告らは、原告晃あるいは原告らに生じた精神的苦痛に対する慰謝料を、入通院慰謝料、後遺障害慰謝料、死亡慰謝料と分けているが、いずれも原告晃あるいは原告らが本件事故によって被った精神的苦痛を慰謝するためのものであるから、このように区別するのは相当ではない。
原告晃が本件によって被った傷害の程度、精神的ショック、右の入院期間(吉田病院以前の協立病院への通院も含む。)のほか、法律的な因果関係はともかく、本件事故による興奮状態を一契機としてせんもう状態を来してその後回復することなく、娘らと意思疎通もできないまま死亡に至ったという経過など、本件に現れた諸般の事情を総合考慮すると、本件事故によって、原告晃及び原告らが被った精神的苦痛に対する慰謝料は、金三〇〇万円をもって相当とする。
以上によると、原告晃及び原告らが本件事故によって被った損害は、三三二万〇七二六円となる。
3 過失相殺について
前記のとおり、三割の限度で過失相殺するのが相当であるから、原告らが被告に賠償を求め得るのは、二三二万四五〇八円となる。
4 弁護士費用
右の認容額を考慮すると、本件訴訟提起・遂行のための弁護士費用のうち、本件事故と相当因果関係のある額は、金三五万円をもって相当とする。
四 まとめ
よって、原告らの本訴請求は、右計二六七万四五〇八円と、これに対する事故の日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その余は失当として棄却することとして、民事訴訟法六一条、六四条、二五九条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 下司正明)
(別紙) 損害計算表